お金への執着が手放せない理由|サピエンス全史が教える『あり方』

お金が”あぶく銭”のように消えていく——その正体は、金額ではないのかもしれません
収入は決して低くないはずなのに、なぜかお金が手元に残らない。大きな買い物をした覚えもないのに、”あぶく銭”のように指の間からこぼれ落ちていく。積み上げているはずなのに、豊かさの手応えはむしろ薄くなっていく。——もし、そんな感覚に少しでも心当たりがあるとしたら、きっとこの記事がお役に立てると思います。
「もっと稼がなきゃ」「もっと学ばなきゃ」「これを買っておかないと取り残される」。良さそうなセミナーや教材、投資の話を前にすると、つい手が伸びてしまう。——けれど、その一つひとつは、本当にあなたが心から望んだものでしょうか。それとも、「周りから見放されたくない」「置いていかれたくない」という焦りが選ばせたもの、だったりしないでしょうか。
今日お伝えしたいのは、お金の”消え方”を決めているのは、実は金額の多い少ないではなく、その奥にあるあなたの『あり方』——お金との向き合い方——の可能性がありますよ、というお話です。そしてその鍵は、意外にも『そもそもお金とは何か』という、本質的な問いのなかに隠れているのです。
その”消え方”を決めているのは、金額ではなく『あり方』のほう
同じ1万円を払うのでも、心が感じる温度は、人によって、場面によってまるで違います。
「この人に喜んでほしい」「この学びが本当に楽しみだ」という「やりたい」から差し出す1万円と、「これを買っておかないと取り残される」「みんながやっているから」といった”やらなきゃ”から差し出す1万円。金額はまったく同じでも、前者はあなたのなかに手応えを残し、後者はどこか焦りだけを残して、あぶく銭のように出ていってしまいがちです。
誤解のないように補足すると、”やらなきゃ”に手が伸びてしまうのは、あなたの意志が弱いから、ではありません。情報も選択肢も増えつづける一方の時代にあって、目の前を通り過ぎる「やった方がよさそうな話」に反応してしまうのは、ごく自然な人間の反応です。
ただ、その結果として、いくらお金が入ってきてもすぐに出ていってしまうということが、誰にでも起こり得るのです。金額の多寡ではなく、お金を支払ったときの心の奥にある『あり方』——お金との向き合い方——が、そのまま”消え方”に映し出されているのです。
ハラリが暴いた真実〜お金はサピエンスの『認知革命』が生んだ最大の虚構である
ここからさらに、お金そのものの正体についてお話したいと思います。ユヴァル・ノア・ハラリの世界的なベストセラー『サピエンス全史』(河出書房新社)を読まれたことのある方は、あの一節を覚えていらっしゃるかもしれません。
ハラリは、いまから約7万年前に起きた『認知革命』こそが、私たちホモ・サピエンスを地球の食物連鎖の頂点へ押し上げた出来事だったと語っています。それまでの人類は、脳の大きさこそ現代人と変わらなかったものの、他の人類種を大きく引き離すような際立った歩みは、まだ見せていませんでした。
ところが、あるとき私たちの祖先は、目に見えないものを「みんなで信じる」能力を手にしたと言われています。神話、宗教、部族、国家、そして——お金。実体としてはどこにも存在しないのに、みんなが「これには価値がある」と信じることで、初めて力を持つもの。ハラリはそれらをまとめて『虚構』と呼びました。
この能力が、なぜそれほど決定的だったのか。ハラリによれば、噂話だけでまとまっていられる集団の上限は、およそ150人ほどだといいます。顔と名前が一致し、うわさ話ができる範囲——それ以上は、群れとしてバラけてしまう。ところが、同じ虚構を信じ合えるようになった途端、見ず知らずの他人どうしでも協力できるようになり、集団は何千、何万へとふくらんでいきました。ハラリは、私たちとチンパンジーを分けたのは「多数の個体や家族集団を結びつける神話という接着剤」だと表現しています。そして、この「見知らぬ他人を信じられる」力こそが、やがて交易——つまり経済——を生み出した源でもあったのです。
お金は、その虚構のなかでも最大級のヒット作でした。1万円札そのものは、ただの紙切れに数字が書かれただけの物体でしかありません。ですが、それを受け取った人が「これは1万円の価値がある」と信じ、次の人もまた同じように信じる。その信じるリレーが途切れない限りにおいて、お金はお金として振る舞うことができる。一方で、ひとたび虚構を支える土台がひび割れた瞬間に、お金は元の紙切れに戻ってしまう脆い存在でもあるのです。
ハラリ自身が言っている、お金とは『相互信頼の制度』である
もうひとつ、お金の本質を理解する重要な一節が、『サピエンス全史』にはあります。
史上初の硬貨が生まれたのは、紀元前7世紀頃のリュディア王国だとされています。その硬貨には、ふたつの情報が刻まれていました。どれだけの貴金属が含まれているかと、その中身を保証したのは誰か。——つまりお金は、その誕生の瞬間から「モノとしての裏付け」と「誰かが保証してくれるという『信用』」の、両方を背負って生まれてきたわけです。
そして、お金はそこからひたすら「抽象化」の道を歩んできました。貝殻、牛、塩、穀物、硬貨、紙幣、そして今や電子データに。ハラリは、世界に存在するお金のうち硬貨や紙幣のかたちを取っているのは1割にも満たず、9割以上はコンピューターのなかの数字にすぎない、と指摘しています。私たちはもう、ほとんど「数字への信頼」だけでお金を使っている、と言ってもいいでしょう。
だからこそハラリは、こう言い切ります。「貨幣は私たちが共有する想像の中でしか価値を持っていない。貨幣は物質的現実ではなく心理的概念なのだ」と。そして、私が最もお伝えしたい一節がこれです。
「信頼こそ、あらゆる種類の貨幣を生み出す際の原材料にほかならない。貨幣は相互信頼の制度であり、しかもただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ」(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』河出書房新社より)
お金の正体は、金でも紙でもなく——『信頼』。人類が発明したなかで、もっとも広く通じる信頼のかたちだというのです。その証拠に、かつて宗教戦争で殺し合っていたキリスト教徒とイスラム教徒でさえ、商いの場では平気で相手側の硬貨を使い合っていた、とハラリは指摘しています。神への信仰は違っても、お金への信頼だけは分かち合えた。お金は、宗教の壁すら越えてしまうほど、私たちの『信じる力』に深く根ざしているのです。
「お金は虚構だ」「お金は信頼でできている」——ここまでは、ハラリの書籍を丁寧に読めば見えてくる景色です。ですが、本を閉じたところで、明日の1万円の使い方がすぐに変わるわけではありません。私がお伝えしたいのは、この『相互信頼』を、日々の自分のお金にどう落とし込むか——虚構を「裏返して」眺めたときに、初めて見えてくるその先の景色なのです。
裏返すと見えてくる、冷たいお金(信用・数字)と温かいお金(信頼・信頼残高)の二面性
ハラリが「貨幣=相互信頼の制度」と言うのなら、私はそこに、こう付け加えたくなります。その『信頼』には、実は温度の違うふたつの層がある、と。その裏返しの景色を、私はよく『冷たいお金』と『温かいお金』というふたつの言葉で紐解いています。同じ『みんなの信頼』から生まれていても、お金には性格の違うふたつの顔があるのです。
ひとつめの『冷たいお金』は、社会的な『信用』から生まれるお金。毎月のお給料、コツコツ貯めてこられた貯金、証券口座に並んでいる投資の評価額——桁数で追いかけられるお金は、すべてこの冷たい側に置かれるものです。契約書やスコア、勤続年数といった目に見える形の裏付けをもとに、金融機関や社会が私たちを『信用』してくれることで動くお金です。住宅ローンやクレジットカードなどはその典型例です。暮らしを守ってくれる『土台』であり、この土台があるからこそ、次の一歩に安心して踏み出していけるものになります。
もうひとつの『温かいお金』は、人と人との『信頼』——いわゆる『信頼残高』から生まれるお金です。金額としては数値化されない、目に見えない非言語のお金だと考えてください。この温かいお金をたくさん持っている方ほど、周りとの関係にもあたたかさが宿っていて、「ありがとう」「おかげさまで」を交わしあいながら、ご自身の好きな仕事を楽しそうにされていることがとても多いのです。
なお、この冷たいお金と温かいお金は、どちらか片方を選ぶような性質のものではありません。ちょうどコインの表と裏のように、常にセットで動いているのが、お金の本当の姿だと私は考えています。冷たいお金の土台があるからこそ、温かいお金に委ねる勇気が湧いてくる一方で、温かいお金の巡りがあるからこそ、冷たいお金は数字以上の意味を持ってくる。この両輪があってこそ、お金は本来の働きを見せてくれるものなのです。
先ほどの”あぶく銭”の感覚に話を戻すと、それはまさに、冷たいお金の数字ばかりに視線が寄っている状態だと言えます。銀行口座残高という”冷たい側の指標”は気になって何度も確認してしまうのに、温かい側——身近な人たちとの『信頼残高』——のほうは、忙しさのなかでご無沙汰になっているかもしれません。虚構の一方の面ばかりを見つめていたら、そちら側の減り方だけで怖くなるのは、ある意味で当然のことなのです。
お金への執着が手放せない根本原因は”稼ぎ方”ではなく『自己受容』のほう
それでは、私たちはどうして、こうも冷たい側——数字——ばかりを追いかけてしまうのでしょうか?
今回、いちばんお伝えしたいポイントがあります。お金を必死に追いかけてしまう根本原因は、多くの場合、稼ぎ方や貯め方、増やし方などのスキルの問題ではないと私は考えています。その奥にあるのは、「いまの自分のままでは、受け入れてもらえないんじゃないか」という、深い深い『自己受容』のテーマなのです。
数字を積み上げることができれば、認めてもらえるかもしれない。もう少し稼げば、人から必要とされるかもしれない。もう少し貯めることができれば、安心できるかもしれない。そんな感覚をお感じではないでしょうか。
もし、そうなのであれば、その”もう少し”が、いつまで経ってもゴールにたどり着けない不安の原因なのです。なぜなら、追いかけている本当の対象が、数字ではなく「自分を受け入れる感覚」だからです。
とはいえ、これはあなたのせいでは決してありません。お金への向き合い方の”クセ”の多くは、子どもの頃、家庭のなかで知らないうちに形づくられます。「お金の話は、はしたない」という空気だったり、逆に「お金がないと惨めになる」という不安だったり——親が背中で見せていたお金観を、私たちは言葉よりも先に受け取っているものだからです。
そのうえ、物心つく前から、テストの点、偏差値、年収、フォロワー数と、あらゆる場面で「数字で測られる自分」に慣らされてきました。「数字が上がる=価値が上がる」という虚構を、いつのまにか自分自身にも当てはめてしまっている——ただそれだけなのです。
ここで大事なのは、「執着を手放さなきゃ」と気合いで念じるほど、かえってお金のことで頭がいっぱいになってしまう、という逆説です。手放そうとする力み自体が、じつは執着の裏返しなのです。「考えないようにしよう」と思うほど、そのことを考えてしまうのと同じですね。ですから、無理に手放そうとしなくても大丈夫です。
そのかわりに、まずご自身へ言ってあげてほしい言葉があります。「稼ぎたかったんじゃなくて、安心したかっただけなんだね」と。数字を追いかけていた自分を責めるのではなくて、その奥にあった「安心したかっただけの自分」を、まずは自分で受けとめてあげることをオススメします。
握っていた手の力がゆるむのは、たいてい「もう握りしめなくても大丈夫」と自分が思えたときです。すると、お金への執着は、頑張って「手放す」というよりも、自然と緩んでいくものなのです。
みんなの信頼で成り立つ共同幻想だからこそ、あなたが差し出す『あり方』がそのまま巡って返ってくる
虚構の面白さは、この先にあります。お金が『みんなの信頼』という共同幻想で成り立っているということは、そこに参加しているあなた自身の『あり方』が、その虚構のなかを流れる『温度』を決めている、ということを意味するからです。
不安と焦りから差し出したお金は、不安と焦りをまとって、周りへ広がっていきます。「取り残されたくないから」と支払ったお金は、受け取った相手にもどこか義務感を残していきます。
一方で、「この人に喜んでほしい」「このご縁を大切にしたい」という気持ちから差し出したお金は、温かさをまとって次の人へと手渡されていきます。虚構の紙切れは、渡し手の『あり方』、言い換えるなら『エネルギー感』を運ぶ乗り物のようなもの。だからこそ、あなたが差し出す温度が、そのまま巡りめぐって、いずれあなた自身のところへ返ってくるものなのです。
私が普段お伝えしているお金モテ®の視点では、この巡りを「満たす → 調える → 与える → 受け取る」の4つのステップとして眺めます。まずご自身のエネルギーを満たし調え、その温度のまま他の人へお金を流すことで、巡りめぐってやってきたお金を受け取ることができるようになります。そうして受け取ったら、また「満たす・調える」に戻る。そうして、ぐるぐると循環させていく。虚構の使い手になるというのは、この循環のなかに、自分の温度をきちんと乗せて流していくことだと言えるでしょう。
虚構の使い手になる第一歩〜お金モテ冒険者タイプ診断で、『お金との上手なつきあい方の型』を知る
とはいえ、「あり方を調えましょう」「温度を乗せましょう」と言われても、いま現在ご自身がどのあたりに立っているのかが分からなければ、次の一歩は踏み出しにくいものです。
そこで役に立つのが、いまのあなたが、冷たい側(信用・数字)と温かい側(信頼・信頼残高)のどちらに軸足を寄せているのか——という『型』を映し出してくれる、私のご用意している『お金モテ冒険者タイプ診断』(8タイプ)になります。
この診断は、性格を当てるテストではありません。生まれ持った人柄を決めつけるのではなくて、「今この瞬間、あなたはお金にどんな温度で向き合っているのか」を、いますぐ映し出してくれる鏡だとお考えください。冷たい側に寄っている方には、温かい側の眠っている循環に気づくきっかけを、温かい側に寄っている方には、冷たい側の土台を調える手がかりを教えてくれるものですので、ご興味がおありであれば、ぜひ一度チェックされてみてください。
虚構だからこそ、あなたの『あり方』が試されている
「お金は虚構だ」と指摘するだけなら、書評サイトで十分です。ですが、その事実を知って本を閉じても、明日の1万円の使い方はなにも変わりません。
ハラリは『サピエンス全史』を、こんな問いで締めくくっています。私たちは虚構の力で神の寸前にまで登りつめたのに、「自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々」のようだ、と。そしていま、昭和の時代には誰もが信じて疑わなかった、大企業神話も、学歴神話も、終身雇用神話も崩れ、代わりに信じるに足る新しい物語は、まだ用意されていません。
私たちがなんとなく抱えている将来への不安の正体は、案外この”神話不足”にあるのかもしれません。だからこそ、外から与えられた虚構としてのお金に振り回されるのではなく、自分がどんな『あり方』でお金とつきあっていくのかを自分で決めることが、これまで以上に問われる時代になっているということなのでしょう。
お金は、あなたが虚構に差し出している『温度』を、そっくりそのまま映し返してくる存在でもあります。冷たい側の数字ばかりを追いかけていた昔の自分も、株やFXで1,000万円を超える額を短期間で溶かしていた時期には、まさにその冷たさがそのまま現実に反映されていました。
一方で、独立して10年以上、自分の言葉で仕事を続けてこられた今の自分が、その経験から確信を持って言えるのは、お金との関係を根本的に変える一歩は、稼ぎ方や投資術の勉強ではなくて、まずは自分の『あり方』を丁寧に見直すことだ、ということなのです。
お金は虚構である——つまり、みんなの信頼という共同幻想で成り立っている——だからこそ、そこに乗せるあなたの温度が、そのままお金の流れに投影されるのです。自分のあり方がお金の現実をつくっている。そう見立てて眺め直してみたときにはじめて、お金と上手につきあっていける道がハッキリと見えてくるのです。
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