リスクと不確実性の違いとは?
私がMBAで学んでいたころ、リスクと不確実性という言葉の違いに頭を悩ませたことがありました。なんだか同じような言葉に聞こえるけれど、でも、よくよく聞いてみると、違う概念、違う意味の言葉として使われていたからです。
そこで、調べてはじめて知ったのです。リスクという言葉と不確実性という言葉は似ているようで全然違う意味や概念の言葉だということを。
このリスクと不確実性の違いをはじめて提唱したのが、20世紀前半に活躍したアメリカの経済学者でシカゴ学派の創始者としても有名なフランク・ナイトという人物です。
有名な著書に『Risk, Uncertainty and Profit』(リスク、不確実性および利潤)があり、ここで世界ではじめて『リスク』と『不確実性』の違いが提唱されたのです。
リスクと不確実性の違いをシンプルに言えば以下のようになります。
・リスク=起こりうる事象が分かっていて、それが起きる確率も予め分かっているもの
・不確実性=起こりうる事象が分かっているが、それが起きる確率が事前には分からないもの
リスクというのは、例えば自動車を運転している時に、事故が起きるような事象を指します。
毎日たくさんの人が自動車で移動しているので、残念ながら、毎日、世界のどこかで事故は起きています。その過去のデータが豊富に蓄積されているので、おおよそ、どのくらいの確率で自動車事故が起きるのか?が分かっているのです。これがリスクです。自動車保険はこうした確率的なリスクを元につくられている金融商品の典型例だと言えます。
一方で、不確実性というのは、起きる可能性があることは分かっているけれど、でも、めったに起きることがないので、その起きる確率がそもそもよく分からないものを指します。
例えば、2001年9月にアメリカで起きた同時多発テロが典型的です。
確かに、飛行機が高層ビルに突っ込んでくる可能性はゼロとは言い切れません。物理的にはぶつかる可能性はいつだってあるからです。でも、滅多に起こらないので(起こっても困りますが・・・)どのくらいの確率でそうした事故が起きるのか?を事前に知ることはできないのです。
これがリスクと不確実性の違いです。
起きる確率が予め分かっているのか『リスク』、めったに起きないので、そのもの起きる確率自体が事前に分からないのが『不確実性』という違いがあるのです。
本格的にやって来つつある不確実性の時代
先行き不透明な時代。混迷を極める時代。不安が蔓延している時代。これまでの常識が通用しない時代。今の時代を例えるなら、このように表現できるのではないでしょうか。
個人レベルで置き換えるなら、今まで時間をかけて身に付けてきた生き方が通用しづらくなって来ていて、このまま延長線上にまっすぐ進むだけでは生き残れないんじゃないか?と感じつつも、でも一体どんな風に生き方を変えていけば良いのかよく分からない・・・。そうした不安や恐れが世の中の空気感として漂っているように感じるのは私だけでしょうか?
先行きを見通すことが極めて困難で、将来どのような道に進むべきなのか?といった指針となるような羅針盤も存在しない今の時代は、まさに『不確実性の時代』という言葉が相応しいように感じるのです。
この『不確実性の時代』という言葉は、ハーバード大学名誉教授であった、ジョン・ケネス・ガルブレイズが著した、1978年には日本でもベストセラーになった著書のタイトルとして有名です。
そんな不確実な時代だからこそ、多くの人が求めるものが、安定、安心であり、そうした想いが、学歴や資格を求めたり、大企業に就職したり、公務員になろうとする動きとして顕在化しているように私は感じるのです。
ただ、多くの人が安定、安心を求めて行動を起こす心理の裏側に潜んでいる、もっと深い部分にある根本原因を深掘りしていくと、「なんとかして今のお金の不安を解消したい」という強い想いが見え隠れするのです。
「お金を手にして、この不安な気持ちをはやく解消したい」
これを逆から見るのであれば
「お金さえあれば、この不安な感情を払拭できるに違いない」
と感じている人が相当増えてきているように感じるのです。
何か実現したい夢やビジョンがあって、そのためにお金を求めるという前向きな想いよりも、むしろ不安から逃れるためにお金を求める後ろ向きな人が多い。そうした時代の空気感をひしひしと感じるのです。
現在の金融資本主義の時代においては、お金は私たちの人生に大きな影響を及ぼす重要な要素のひとつです。
そんな不確実性の時代において、どのようにお金と向き合い、どのように人生をデザインしていけばいいのか?
そんな人生とお金のデザインについて考えてみたいと思います。
不確実性の時代だからこそ常識を手放す勇気を持つ
私は新卒で大学を卒業してから、16年以上勤め続けた大企業正社員の総合職という立場を捨てて、今はインターネットを通じてFacebookやブログで情報発信しながら生きていくことを選択しました。
世間的に見ると、学歴を求めたり、大企業に正社員として就職したり、資格取得を目指して勉強したりするのとは真逆の、むしろ安定、安心を手放した、極めてリスクの高い生き方を選択しているように見えるのかも知れません。
でも、私はそうした世間一般の認識とは違って、これからの時代は情報発信をベースにした生き方のほうが、より大きな安心感と安定感、そして人生の充実感が得られると共に、経済的にも恵まれる可能性がかなり高いと感じているのです。
だから、全くと言っていいほど躊躇なく、あっさりと大企業正社員の総合職という立場を捨てることができたのです。
しかも、今では、生き方を変えて本当に良かったなあと感じているんですね。
妻から未だによく言われる言葉があります。
それが、
「もっとはやく会社を辞めたらよかったのに・・・」
だったのです。
妻もどうやら私と同じように、世間一般の常識とは真逆の感性の持ち主のようです。
実際、今の私の時間の使い方は完全に自由そのものですし、人間関係のストレスも一切なく、会社員時代と比べて、1/4以下の労働時間で、3倍〜5倍程度の収入を安定的に得られるようになったくらいですから、私の姿を見てそう言いたくなる妻の気持ちもよく分かるのです。
そんな私が、今、受け取っている現実を見ているうちに、今のような不確実性の時代だからこそ、より高学歴を求め、より有名で大きな会社に勤め、できるだけ正社員を目指し、年金、退職金をあてにして生きるといった古い時代の常識を、勇気を持って出来るだけ早く手放すことのできた人から順に、経済的にも精神的にも豊かになっていく様子が私の目にははっきりと見えるのです。
『ブラックスワン』は常にあなたの側に潜んでいる
私が生き方を根本から変えようと強く動機付けられたのは、時代の変化を観察しているうちに、もうそろそろ、学歴や資格を真っ先に求めるような、古びて錆び付いてしまった価値観を捨てるタイミングに来たなと感じさせられたからです。
そして
「自分は何のために生きているのか?」
「自分が本当にやりたいことは何なのか?」
「誰のために、何のために、どうして自分は今この仕事をしているのか?」
といった本質的な問いと真剣に向き合いながら、新しい時代に求められている、自ら必要としている人へ直接価値を提供することのできるスキルを身につけないと、もう生き残れなくなる、という危機感を感じたからです。
万一、今の生き方や働き方をシフトさせるタイミングを逃してしまうと、経済的に生き残れなってしまう可能性がかなり高くなってきている。そう感じさせられる出来事を見聞きする機会が体感レベルで増えているのです。
そのなかでも、特に大きかったのが、2008年のサブプライム危機(いわゆるリーマンショック)と2011年の東日本大震災でした。
ノーベル経済学賞を受賞した学者から伝説的な実績を挙げた凄腕トレーダーまで、きら星のようなスーパースターたちを擁して、人類の叡智を結集して精緻に構築されてきたはずの金融工学が全くと言っていいほど機能せず、その脆さを露呈することで世界経済を破綻寸前にまで追い込んだ”100年に一度の金融危機”と言われたサブプライム危機(通称リーマンショック)。
そして、一瞬にして1万5千人以上の命を奪い、絶対安全と言われていたはずの原発を機能不全に追い込んだ、地震、津波、原発事故の”三重苦”となったM9.0という観測史上最大規模の災害となった東日本大震災。
いずれの出来事も、私たちの予想を遙かに超える、想定外の出来事が未来に起こることを予め正確に予測することの難しさを世界中に再認識させるきっかけとなった象徴的な出来事でもありました。
人生には3つの坂があると言われます。上り坂と下り坂、そして、“まさか”です。そしてその”まさか”は常に予測できないものなのです。
何がいつどんなかたちで起こるのかは事前にはわからない。そして起きた時には私たちの想像を超えたかたちで起こるのが、今、私たちが生きているこの不確実性の時代の特徴なのです。
そんな”まさか”のこと、サブプライム危機を早くから警告し続けていたことで一躍有名になったナシーム・ニコラス・タレブは『ブラックスワン』と呼びました。
どれだけ「白鳥は白い」という事実を集めたとしても、たった一羽の”黒い白鳥”が見つかっただけで、「白鳥は白いもの」という常識は一瞬にして崩れ去るからです。
常識と言うのは一見すると堅牢に見えるものの、実はいとも簡単に壊れてしまうガラスのようなものなのです。
「それが常識だよ!」「普通はこうでしょ?」「みんなこうしてるんだから同じようにしてたら大丈夫なんじゃないの?」
こうした考え方で生きている人ほど、一瞬にして人生とお金のデザインが崩壊してしまいやすいのが、今、私たちが生きているこの不確実性の時代の特徴と言えるのです。
サブプライム危機や、東日本大震災はまさに『ブラックスワン』そのものだったと言えるでしょう。
今までずっとこの生き方で大丈夫だったんだから、これからも大丈夫に違いないと思うことほど危険なことはない。
それを私たちはサブプライム危機や東日本大震災で学んだはずで、その教訓を活かすのはこのタイミング以外にはないと私は思うのです。
実際、有名な大企業ですら、ひとつ判断を誤ると一瞬で経営が傾いてしまうほど時代の変化は早く、昭和の時代の典型的な人生のモデルケースだった
「いい高校に行って、いい大学にいって、有名な企業に入って、退職金と年金をあてにして、ひとつの会社に骨を埋めるつもりで生きる」
というシナリオが、もはや全く通用しない時代に本格的に入ってきているのは誰の目にも明らかです。
例えるなら、昔は山があれば、嫌な事があったとしても、嫌な人がいたとしても、それを我慢して一生懸命登っていれば、いつかは必ず頂上にたどり着いて、我慢が報われた時代だったのです。
ところが、今や、山を登っている最中に、その山ごと跡形もなく一瞬で消えてしまい、今までの苦労は一体なんだったんだろう?と頭を抱え、その結果、心を病む人が続出している時代なのです。
そんな不確実性に満ちた時代で、何か一つだけに人生の全てを預けるような依存的な生き方は、既に極めてリスクが高くなってしまっていることに気づく必要があります。
そうした時代の変化に気づき、決して容易ではないにしてもその事実を受け入れたうえで、新しい生き方模索し、それを確立するために試行錯誤すること。
それが今、最優先すべきことだと私は思うのです。
歴史が教えてくれた生き方を変えるタイミング
世の中の価値観や社会制度というのはせいせい70年程度しかもたない。そのことを私に教えてくれたのは歴史でした。
今から71年前の1945年と言えば戦後復興へと再スタートするターニングポイントとなった終戦の年です。そして1945年からさらに70年ほど遡ると、武士を中心とした封建社会が崩壊して、西洋から輸入された資本主義社会が日本で産声をあげた明治維新に辿り着きます。
どちらにしても、その時代をリアルタイムで生きていた人達にとっては、まさに青天の霹靂のような大きな価値観の変化に戸惑いながら、これからどのように生きていったらいいのか?と日々悩みながら生きていた時代だったことは想像に難くありません。
こうして過去の歴史を振り返ってみるだけでも、私たちが生きている今の時代というのは、既存の古い価値観や社会制度が徐々に崩壊しながら、私たちがこれまで想像すらしなかったような、新しい価値観や社会制度が生まれてくるタイミングに差し掛かっている可能性が極めて高いということに気づけるのです。
そんな不確実性に満ちた時代のなかにあって、経済的にも精神的にも豊かに生きていくために必要なこと。
それが『人生の耐震性』を上げること、なのです。
『人生の耐震性』を上げるというのは、万一、私たちが予想もしないようなことが起こったとしても、その悪影響から出来るだけ逃れ、被害を小限に留められるような、変化に強い柔軟なライフスタイルにしておくことを差します。
例えば、以前の私と同じ会社員の場合、勤めている会社が仮に倒産してしまったとしても、十分生きていけるだけの経済的な基盤を自らの手でつくっておくことなどが挙げられます。
また、万一、日本で金融危機が起こって日本円の価値が大きく毀損したり、戦後まもなく実施された預金封鎖のような施策が再び実施されたとしても大丈夫なように準備を整えておくことも有効です。
不確実性の高い時代では組織や仕組みの持続可能性が極めて低くなります。
つまり、収入という面で言えば、収入源が一つしかなく、その収入源がなくなってしまったら一瞬で生活が成り立たなくなる状況のままで居続けることは極めてリスキーだということが分かるのです。
『ブラックスワン』が飛んできたら、今までの常識は一夜にして書き換わってしまう。
そんな時代だからこそ、まずは収入源を他人だけに依存することからできるだけ早く卒業することが人生とお金のデザインを考えていくうえでの第一歩なのです。
『人生とお金のデザイン』の第一歩は依存から自立への道を模索すること
収入源を他人に依存している状態というのは雇用されて給料を貰っているだけだったり、国の制度である年金や、企業の制度である退職金や企業年金だけに依存する生き方のことを差します。
いつ『ブラックスワン』が飛んできてもおかしくない時代においては、今までなんとかなっていたんだから、これからも大丈夫に違いないと考えることほど人生を狂わせてしまうものなのです。
だからこそ、まずは真剣に『人生とお金のデザイン』を見直すことが最優先になります。そのためには他人に預けてしまっていた収入のコントロール権を、自分のコントロール下に取り戻すこと。まずはそこからはじめていく必要があります。
ただ、自分の力で収入を得られるようになろう考えた時、ついつい以前の私のように大学院で学び直して学歴を増やしたり、資格を取得しようという思考になりがりですが、学歴や資格というのは過去の実績を第三者が証明するものに過ぎず、これからの未来の生活を保証するものではないということを理解しておくことが欠かせません。
資格を取ったのに、学歴があるのに、お金に困っている人は私の周りにもたくさんいます。
その原因はシンプルで、昔の時代の常識に囚われて、学歴や資格が未来を保証するものだと勘違いしてしまっているからです。確かに昔はそういう時代だったのかもしれません。でも、もうそんな時代ではないということにはやく気づく必要があります。目を覚ますのは今なのです。
過去に執着せずに、過去の常識は勇気を持って感謝しつつも手放して、新しい時代の常識を採用して生きていくこと。
これが不確実性の時代における『人生とお金のデザイン』をしていくためには必要不可欠なのです。
今の不確実性の時代においては、東大卒やMBAといった学歴はもちろん、医者や弁護士といった資格や肩書きも、「そんなのもうただの昔話ですよ」くらいの感覚でいるくらいでちょうどいいのです。
そうしたラベルがどうしても欲しい人は求めてもいいとは思いますが、そのラベルが直接お金を生み出すわけではないということには十分注意すべきだと思うのです。
仕事は他人から貰うものじゃなく自分で創るもの
資格を取ったのに、学歴があるのに、お金に困っている人の共通点があります。それは仕事は誰かから貰うものだと思い込んでいることです。もうお気づきのように、これは完全に思い込みですし、時代の流れに取り残されてしまいやすい典型的な思考なのです。
今の時代、そしてこれからますます、仕事は自分で創るものだという認識が重要になってきます。
よく言及されることですが、コンピュータ化が進み、AI(人工知能)の発達によって、現在人間がやっている仕事も、いずれは人間が要らなくなるようになっていく可能性が高いからです。
実際、ガソリンスタンドやスーパーのレジのセルフ化のような単純な仕事だけでなく、自動運転機能の自動車の登場によってバスやタクシー、トラックの運転手が不要になったり、Amazonの配達ドローンが進化すれば、宅配の仕事がなくなっていくことも十分考えられます。
さらに、既に予備校では起こっていることですが、先生は科目ごとに一人いれば十分で、その授業を衛星放送で全国配信するようになってきています。これと同じようなことが世界中の大学でも起きていて、そもそも先生や大学教授といった専門職の仕事すらなくなりつつあるのが現実なのです。
参考:機械に奪われそうな仕事ランキング1~50位!会計士も危ない!激変する職業と教育の現場
今のような仕事がなくなっていく時代に必要なのは、学歴や資格を取る力なのではなくて、自ら世の中が求めているモノに気づき、価値を見出し、仕事を生み出すことのできる力なのです。
仕事を生み出す力を言い換えるのなら、価値を創造して、それを必要な人に届ける力だと言えます。それは時代に求められているスキルを磨くことに尽きます。
その基本となるのがコンピューター化、AI化の流れに沿ったかたちでのインターネットに関連する情報発信関連のスキルだと私は考えています。
そのなかでも特にお金に直結しやすいのは、他の人がまだ気づいていないものに価値を見出して、それを必要としている人に届ける力であり、これを一言で言うのであれば、インターネットを通じた情報発信力なのです。
そして、この情報発信力こそがお金の不安を希望に変える力だと私は確信しているのです。
お金だけに頼らないことがむしろ生存確率を高める
先行きが不透明で、混沌とした不確実性の時代だからこそ、不安な感情に突き動かされるかたちで節約して貯金をしようとする人が多いようです。その気持ちは理解できるのですが、でも、必要以上に貯金をしたり、貯金額だけを追求することから出来るだけ早く卒業したほうがいい。私はそう感じずにはいられません。
なぜなら、お金の価値というものは自分以外の誰かが勝手に決めたものにすぎず、日々変動し続けているうえに、時と場合によっては一瞬にして紙くずになるリスクさえあるものだからです。
実際、お金の価値は為替という形で日々相対的に変動していますし、見た目の額面は変わらなかったとしても、商品やサービスの価格が変わることで、事実上お金の価値は変動しているのです。
歴史を振り返って見た時に極めて興味深いのが、今のように時代が大きく変化する時に真っ先に生きられなくなった人というのは、自ら価値を生み出して来なかった貴族や資産家などの富裕層と呼ばれるの人達だったのです。そして一旦、資産やお金そのものの価値が激減してしまうと、一瞬で生活が成り立たなくなったのです。
そうした歴史から学べることは、お金に換算できる貯金額や資産としてのいわゆるストックに依存する思考から卒業して、逆にいつでもお金を生み出すことのできる状態でいること、つまりお金が自然と循環する流れとしてのフローのなかにいる状態を確立しておくことに大きな価値があるなのです。
よく言われることですが、1万円札の原価はせいぜい20〜30円程度しかありません。そこに「1万円の価値がある」と多くの人が思い込むことによって成り立っているのが今の金融資本主義の本質なのです。
そんな思い込み、幻想から脱して、お金だけに依存しすぎないことが、これからの時代における生存確立を高めてくれると私は確信しているのです。
具体的に言えば、貯金をするよりも、自分でビジネスを持ち、お金を生み出す力を身につけておくことのほうが、今のような不確実性の時代では極めて価値が高いと言えます。
そして、個人でビジネスをはじめようとする際に強力な武器となるのがインターネットを使った情報発信力なのです。
コンピューター化、AI化に代表されるような時代の流れる方向に沿った形で情報発信力を身に付けながら、その力を基盤として、いつでもお金を生み出すことのできる、お金が循環するフローの状態にできるだけ早くシフトしておくこと。
そうした『人生の耐震性』を高めるために、柔軟なライフスタイルで生きることのできる経済状態を早急に確立するための行動には大きな価値があるのです。
仮に今、会社に勤めていたとして、明日から給料が出なくなったり、リストラされたとしても、「あっ、そうなんですね。今日までお世話になりました。ありがとうございました!」と何の未練もわだかまりもなく、さっと離れて、翌日から次の人生を始められる準備をしておくこと。
そんな風に他人に収入を依存することなく、従来の生き方や既存の常識を手放す勇気を持って、『人生の耐震性』を上げながら、自らの手で『人生とお金のデザイン』を確立しつつ、これからの時代を経済的にも精神的にも豊かに生き残ろうとする人を私は応援し続けようと思うのです。